99歳が生み出した希望の味!戦時中に子どもたちの飢えを救った「ポン菓子」の知られざる物語

2025-08-18
99歳が生み出した希望の味!戦時中に子どもたちの飢えを救った「ポン菓子」の知られざる物語
毎日新聞

戦時下の苦しい時代に響いた、先生の温かい願い

第二次世界大戦中、多くの子どもたちが飢えに苦しんでいた時代がありました。そんな中、ある先生は、子どもたちのお腹を満たしたいと強く願いました。その先生の熱意が、今もなお愛されるお菓子「ポン菓子」誕生のきっかけとなったのです。

素朴な甘さと香ばしい香りが食欲をそそるポン菓子。子どもたちの間だけでなく、大人にも広く親しまれています。国産ポン菓子機の生みの親である吉村利子さん(99歳)と娘の真貴子さん(70歳)に、その知られざる物語を伺いました。

ポン菓子の原風景:北九州市での出会い

吉村利子さんは、北九州市に住む99歳のおばあ様です。戦時中、学校の先生として子どもたちの教育に携わっていました。子どもたちの栄養状態を目の当たりにし、お腹の空いている子どもたちを見るたびに、何かできることはないかと考えていました。

そんなある日、先生はポン菓子の存在を知ります。当時、ポン菓子はまだ一般的ではなく、特別な機会にしか味わえないお菓子でした。先生は、子どもたちにもっとポン菓子を味わってほしいと考え、手作りできる機械の開発に着手しました。

国産ポン菓子機の誕生と普及

試行錯誤の末、吉村利子さんは、家庭でも簡単にポン菓子を作れる機械を開発することに成功します。この機械は「ポン菓子機」と名付けられ、急速に普及していきました。

ポン菓子機は、戦時下の食糧不足という状況下で、子どもたちの貴重な栄養源となりました。また、手軽に作れることから、地域の人々にも広く利用され、人々の心を繋ぐ存在となりました。

「ドン菓子」「バクダン」との呼び名

ポン菓子は、その独特の製法から、「ドン菓子」や「バクダン」など、ユニークな呼び名で親しまれていました。圧力鍋を使って穀物をポンポンと弾ける様子から名付けられたこれらの呼び名は、ポン菓子の親しみやすさを象徴しています。

戦後80年、変わらぬポン菓子の魅力

戦後80年が経った今も、ポン菓子は多くの人々に愛され続けています。吉村利子さんは、ポン菓子を通じて、子どもたちに笑顔と希望を与えたいという願いを今も持ち続けています。

「ポン菓子は、ただのお菓子ではありません。子どもたちの笑顔、家族の絆、そして希望を象徴する大切な存在です。」吉村利子さんの言葉に、ポン菓子の温かい魅力が込められています。

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