藤川球児氏との忘れられない寿司屋体験:社会人2年目の記者が人生の指針を得た瞬間

2025-03-24
藤川球児氏との忘れられない寿司屋体験:社会人2年目の記者が人生の指針を得た瞬間
スポーツ報知

スポーツ報知記者のコラム「両国発」では、記者としての人生を振り返り、その中で出会った人物や経験が自身の成長にどのように影響を与えたのかを語ります。今回は、社会人2年目の私が、球界を代表するクローザーとして活躍していた阪神の藤川球児投手に食事に誘われた、忘れられない出来事をご紹介します。

2009年7月。当時、私は社会人2年目の記者として、日々記事の執筆に追われていました。ある日、突然、球界のスター選手である藤川球児投手に、初めて食事に誘われたのです。喜びと緊張が入り混じった私の心は、まるでジェットコースターのようでした。

待ち合わせ場所は、札幌市内の高級寿司店でした。普段、すし屋に馴染みのない私は、場違いな気分でいっぱいでした。緊張しながら店に入ると、そこには藤川投手がすでに待っていました。気さくな笑顔で迎えてくれた藤川投手でしたが、私の緊張はピークに達していました。

コース料理が始まり、次々と美しい寿司が運ばれてきました。特に印象に残っているのは、付け台に1万匹に1匹と言われる希少な「鮭児(けいじ)」の握りでした。そのあまりの珍しさに、思わず目を丸くしてしまいました。すると、隣の席から突然、誰かの声が聞こえてきました。「そんなに驚く顔して、いい加減にしろ!」

声の主は、藤川投手の妻でした。冗談めかして言われましたが、その言葉に、私はハッとしたのです。藤川投手は、私が緊張しているのを見て、あえて場を和ませようとしてくれたのだと気づいたのです。

その夜、藤川投手は、私の記者としての仕事ぶりについて、率直な意見を述べてくださいました。記事の書き方、取材の仕方、そして、何よりも大切なこと、それは、常に誠実であること。藤川投手は、私に、記者としての心構えを教えてくれたのです。

藤川投手との寿司屋での食事は、私にとって、人生の大きな転機となりました。その夜、私は、自分がこれからどのように成長していきたいのか、という明確な指針を得ることができたのです。それ以来、私は、常に誠実さを忘れず、記事の執筆に励んでいます。藤川投手に心から感謝しています。

あの日の寿司屋での出来事は、今でも私の記憶に鮮明に残っています。藤川投手に誘われたあの夜は、私が記者として成長するための、かけがえのない経験となったのです。

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